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2023年
6月
在宅医療連合学会大会にブース出展いたしました。
こちらの会場で新潟のご当地キャラの「レルヒさん」がおられ、アイザックス症候群の患者会ブースにも足を止めていただき、患者の声を聴いてくださいました。
さらにになんと、レルヒさんのTwitterにてアイザックス症候群のブースの写真と、お話しした内容をアップしてくださいました!
https://twitter.com/TheodorVonLerch/status/1672478609196343296?s=20
(レルヒさんのTwitterより)
レルヒさん、ありがとうございました。
2021年
12月
りんごの会代表の和久井美紀です。
この度は私の夫について、大切なご報告がございます。
結婚する前から、彼はりんごの会の活動を支えてくれていました。
どこへ行くにも、彼が連れて行ってくれました。
その彼も「再発性多発軟骨炎」という難病で、難病患者同士の私たちは5年前に結婚しました。
今年3月、RDD2021浜松町ビルディングのイベントで、私たちの歴史についてお話しさせて頂きました。会報等にもそれについて書かせていただいているので、ご存知の方も多いと思います。
ちょうどその頃、彼の右の首に小さなしこりが見つかり、悪いものなのかどうかの検査を受けていました。
なかなか結果がでず、1泊入院をして、生検の結果、悪性リンパ腫と言うことがわかりました。
5月末から、悪性リンパ腫の治療をするために、彼は入院しました。抗がん剤治療は、6回行う予定で、1回だけ入院して行い、その後は外来で抗がん剤の点滴を行う予定と説明を受けていましたが、彼には悪性リンパ腫だけではなく、再発性多発軟骨炎もあったので、2回目までの抗がん剤を入院して行ってもらい、様子を見ることにして頂きました。
しかし、1度目の抗がん剤治療のあと、医師にも想定外のことが起こり、呼吸困難を起こして、苦しい日々を過ごしました。
生きるか死ぬかの瀬戸際でした。
しかし、コロナ禍であり、面会には行かれなかったため、リモートでテレビ電話を繋ぎっぱなしにして、ひたすら声をかけ続けました。
あまり間を開けることも良くないのか、2度目の抗がん剤治療を少し予定とは遅れながらも、薬の量を半分にして行いましたが、やはり呼吸困難を起こしてしまい、これ以上の抗がん剤治療は無理と判断されました。
リンパ腫も小さくなっていたので、様子を見ることに。
リンパ腫の治療ができなくなってしまったので、血液内科にいることができず、再発性多発軟骨炎の治療をと、リウマチ内科に転科することになりました。
そこからも状態は悪化を続け、全身状態がどんどん悪くなっていきました。
9月、リウマチ内科と血液内科の医師と合同のICがありました。
これ以上の治療は難しい、余命は1年ないと思う。
そう言われ、彼は家に帰りたいと言いました。ただ、その頃の状況ではとても帰ってこられる状況ではなく、例え帰ってきても家族だけで彼を看ることができるような状況ではありませんでした。
何度も生死をさまよい、最期は面会を許してもらうという約束をしていたので、何度も病院に呼ばれました。
意識がなく、白目を向いている彼に、何度も声をかけ、励ますと、その度に彼は「死んでたまるか!」と必死に生きようと頑張ってくれました。
私は在宅で看るためにどうしたらいいのか、あちこちに連絡をし、彼の介護保険が認定されたらすぐにでも、たった1日でもいいから家に帰ってこられるようにと準備を始めました。
その合間にも、不安な彼からひっきりなしに電話がくるため、必死に励まし続けました。
自分自身の体調も悪くなり、2人共が生きることに必死だった時もありました。
このままでは夫を家に迎えることは難しい、自分自身も治療を受けなければ!
少しでも夫が安心できる場所を見つけなければ!このまま入院していたら、夫はメンタルがどんどん落ちてダメになってしまう。
そう思ったとき、緩和ケア病棟に転院することができないかと考えました。
家から近くの緩和ケア病棟を探してみたら、すぐ近くにあり、入れないかもしれないけれど、お受験してみよう!とすぐに行動しました。
夫にもきちんと話をして納得してもらいました。
家から近くなれば、面会にも行きやすくなる。
そこから夫の表情もどんどん良くなり、お受験も見事合格し、トントン拍子に転院が決まりました。
それでも、もしかしたら移動最中に急変するかもしれない、おうちには戻れないかもしれない覚悟はしておいて、と転院前に夫には内緒で言われていました。
でも、夫の希望することは全部叶えてあげたいと思っていたので、それを覚悟で転院もしました。
また、夫は多くの人に何かを遺していきたいと言っていたので、以前私を取材してくださった日本テレビの方にダメもとで連絡をして、夫にインタビューをしていただけることになりました。
夫の生きようとする力強さを知って欲しい、夫の言葉を遺せるのならと思い、必死でした。
コロナ禍なので、夫へのインタビューはZoomで行われました。
緩和ケア病棟に転院後はとにかく穏やかで、苦しくなることも減り、ご飯も食べられるようになって、私への電話も少なくなりました。
その間に私は夫が帰って来てから夫を支えていかれるように、自分の治療に専念しました。
そして、10月末に、夫はとうとう夢にまでみた自宅に帰ってくることができました!
もちろん在宅での介護は、簡単ではなく、大変なことばかり。
でも、家族だけで無理なことは、ヘルパーさんや訪看さん、往診の先生やアシスタントさん、専属の薬剤師さんがまるで家族のように助けてくださり、1つのチームとして夫を支えました。
そして、12月5日の結婚記念日、6日の私の誕生日を一緒に過ごし、7日の朝8時に自宅で息を引き取りました。
本当に穏やかで、苦しむことなく、すっと息をすることをやめた夫。どこからみても笑っているような顔で、気持ち良く眠っているみたいな顔でした。
頑張りました!
先生方は、退院すらも難しいと考えていたくらいですし、帰ってきても、こんなにも長く自宅で過ごすことは無理だと思っていたそうです。
この間、夫の介護に専念させていただくため、りんごの会の活動は控えさせていただいておりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
ご入会希望の方々には、今年度の入会を控えていただき、会報を送らせて頂きました。
それでも、ご寄付を頂いたり、本当に感謝しかありません。
なかなかご質問のメールに返信ができなかったり、メールをくださった方々には不安を与えてしまったかも知れず、申し訳ありません。
しかし、皆さま方のご配慮によって、夫に短くても濃厚な在宅介護を行うことができました。改めて、皆さまに感謝いたします。ありがとうございました。
これからはゆっくりと夫との時間を振り返り、夫の分まで多くの方に大切な事を伝えていかれるよう、努力したいと思っております。
最後になりましたが、夫が遺した言葉を1人でも多くの方に知っていただけますと、夫も喜ぶと思いますので、是非下記のリンク先をご覧いただけると幸いです。
「命尽きるまで妻と」がんと闘う難病の夫婦
https://www.news24.jp/articles/2021/12/07/07988343.html
和久井美紀
3月10日
RDD2021浜松町ビルディングでオンラインセミナーに参加致しました。
当日は「難病婚」がテーマということで、
りんごの会代表:和久井 が夫と共に、夫婦二人でお話をさせて頂きました。
夫:希少疾患RP (再発性多発軟骨炎)
難病と聞くと、寝たきり、苦しいなど辛いイメージをお持ちの方が多くいらっしゃいましたが、見た目では分かりにくいものの、治療をしつつ、意外と活発に動ける難病患者さんもいると知って頂けたと思っております。
難病患者同士の結婚は大変なことも多いですが、医療福祉制度の活用などを取り入れつつ、
日々を楽しく過ごしている私たちの日常を、知って頂けたら嬉しく思います。
RDDイベント情報ページの、イベント情報 ②RDDウェビナー
「難病婚」から当日の様子を見ていただくことができます。
https://rddhamasmile.sakura.ne.jp/
RDDセミナー「レアな2人で難病婚しました」に
寄せられた質問・回答はこちらから。
https://rddhamasmile.sakura.ne.jp/answer.html
開催前から、RDD浜松町ビルディングのスタッフの皆様には
大変お世話になりました。
おかげさまで,貴重な体験ができました。
スタッフの皆様、聞いて下さった皆様、本当にありがとうございました。